I'm going to watch blue bird fly over my shoulder

Mar 27, 2013

the master ザ・マスター

久しぶりに映画館に行って来た。

ポールトーマスアンダーソンの映画が公開されたから、そうザ・マスター
フィリップシーモアホフマン、ホアキンフェニックスとしぶい役者が出ている。
音楽はジョニーグリーンウッド、そうあのジョニーですよ

新興宗教が題材の映画みたいだけど、そんなのはこれっぽっちも気にならなかった。
たくさんの映画を観て来たけど、

'観る'映画と'体験する'映画があると思う。
観る映画はきちんとストーリーが合って、観終わった後感動したり、かっこよかったね、面白かったねという具合にエンターテイメントで、居心地がいい。

体験する映画というのは、なんというか、観終わった後違和感や不快感に近いものを感じてしまう、
それはきっと、普段の何気ない生活の中で、自分が当たり前だと無意識に感じているものとは違ったものに遭遇したからだと思う。
体が心が、直感的に反応して経験する映画が、言い換えれば非日常を体験する映画だと僕は思っている



そんな映画には、なかなか出会えないのだけどこの映画はそういう映画でした。

ホアキンフェニックスの演技がすごい。完全に狂ってる
人間味があって、なんとも醜い。ものすごい感情、形相で向かってくる
しかし美しい。素っ裸の自分の感情をさらけ出し、
完全に演技に引き込まれてしまった。
何を信じたら、誰を信じればいいのか、新興宗教?自分?その境界であえぎ、苦しむフレディ、人間は儚くて、弱いが必死に生きている。
自分が信じられるものがあるからこそ、その先に幸せがあるかもしれない

宗教のマスターを信じ、フレディは自由を得る。
マスターの元を去る、シーンはいかにもアメリカだった。
ニューシネマだった。
ニューシネマなんて言葉を思い起こさせる映画も久しぶりだったな笑

演劇を観ているかのような、ホアキンフェニックスとフィリップシーモアホフマンの演技に、ただただ圧倒されっぱなしの2時間ちょっと、エモーショナルな映画でした。狂気でした。



自分が本当に心動かされたものとか、素晴しいものを見た時って
言葉にならなくて、人に伝えるのがムズカしい
伝えても、意味が無いし、下品かも、クレイジーかもって思うけど

僕はそうしたものが、退屈な日常から、自分を一歩前へと踏み出させてくれるし、そういうもの、人との出会いが何よりも価値ある人生にしてくれると信じてる。
何気なく生きている中に素晴しい可能性は埋もれていると思うし、何かインスピレーションを与えてくれる。
時には考え方、行動、生き方まで変えてくれるもの、人に出会うかもしれない。

大切なのは、そういうのんを受け入れるようにオープンでいること、見たり聞いたりしたものから逃げないで、受け入れる準備しておくことだと思う

話はそれたけど、この映画はきっと何かを訴えてくる映画であると思う。
それが何だったか?はどーでもいいし、観た人がそれぞれ直感的に感じたものが全てでパーソナルなことだと思う。

映画の表現力にとことん向き合った、クラシカルな映画
劇場でいかがですか?









Mar 18, 2013

ふらりと

ふらりと立ち寄った古書屋さん
よい本には無意識に惹き付けられるものです。向こうからやってくる
ライドの遺言。発行は1966年
どうやら日本初のフランクロイドライトの本だったようです。

布張りにFRANK LLOYD WRIGHTの型押しが素敵です。この時代の重厚なタイポグラフィ。


どれどれ、

「人類の魂は危険に曝されている。無統制に拡大された機械は自然の濫用の上にのさばっている。すでにマシーンシステムは非常な害毒を及ぼし、害毒は募りつつある。
近代のマシンマスター達は、建築や芸術の分野でそうであるように、工場において人間の運命を支配している。彼らの人生は驚くべき動力器具と、それよりもなお強力なマシーンシステムによって無味乾燥なものとなり、その非常識な拡張は彼らの精神を汚し、すべての手工業によって代わりつつある。
新しい技術の無知な誤用による科学的発明はいたるところで芸術家を閉め出してしまった。しかも彼ら今や却って機械の奴隷となっていった。」

40年以上前の本なのに、全くリアリティのある言葉に驚きました。40年間私たちは同じような環境で暮らしてきているのですね。
ロイドが見据えていた未来、あらゆるものに目を向けることが大切なようです。
ロイドの建築も言葉も全く古びませんね。

久しぶりに1966年のモノに出会えたので、身の回りにある1966年のものごとガラクタをつらつらと
日本にビートルズがやってきました。
内田裕也がビートルズ武道館公演の前座やってたってことは案外知られていない。

コルトレーンもやってきてました
日本中をツアーしてたなんて想像するだけでぶっ飛ぶ。晩年のコルトレーンは悟りを開いたごとく音楽に陶酔してました。禅です。禅とは自分の本来の姿をあるがままに受け入れることだそうです。禅を続けても何も得ません。
コルトレーンの晩年の音楽を聞いてるとそんなことを感じる。



この年ディランはいきなりフォークを捨て、「play it Fuck'in loud 」とMCしてライクアローリングストーンを歌いました。これぞロック、1966年はユースカルチャーが爆発し出した年だったのですね。
この時代のディランの立ち振る舞いとスタイルは問答無用のかっよさ
     



リーバイス。古着のリーバイスには66前期とか、後期とか色んなものがあります。66の501は歴代で最も細くスマート、この時代のものはすぐ分かります。色落ちの仕方がまったく違う。
しかし、一番好きな606。スチューデントラインと呼ばれる当時のファッショナブルな若者のためのスリムなリーバイスは僕の足です。ぼろぼろ

パリではサンローランがセーヌ川の左岸にブティックを出しました。セーヌ川左岸は学生の街、若さに対するサンローランの思いをyves saint laurent rive gaucheとしましたとさ
いつまでもサンローランは憧れです

この年出来た、偉大なガラクタ骨董品。
マッキントッシュのアンプはロイドの建築と同じくらい重圧で、かっこよい。
音楽をゴージャスに奏でます。時々機嫌損ねますが、ご機嫌な時の鳴りっぷりは鍵盤の上でダンスしてるみたい。
マッキントッシュと名の付くものは何でもかっこよいですね

好きなものことは大切にしましょう
つれつづれと綴り終わり。